pera日記

まったりと雑記ブログ

海外の学校を転々として個人的に大変だった壁

自分は10代の頃海外転勤族でした。

色々なタイプの学校を転々とし、当時どんな壁が大変だったかを懐かしんだため少し語ります。

もう10年以上前の話です。

 

言語の壁

海外といえばよく言われる言語の壁。

ゼロから異なる言語を覚えるのは大変です。

でも必要最低限の言葉はそのうち覚えますし、ジェスチャーを用い簡単なイラストを描くなど小手先のテクニックを使えば単純な気持ちは伝えられます。

つまり必要最低限のコミュニケーションでやり過ごすだけなら、他の壁と比べると言語の壁は案外大した壁ではないかもしれません。

充実した生活を送りたいのならとにかく勉強をしなければいけませんが。

言語の習得を怠けるとそれはそれで苦労をします。

 

文化の壁

言語の壁の次によく指摘されるのは文化の壁ですかね。

10代というまだ頭が若干柔らかい時期だったため、文化の違いはむしろ楽しい要素でした。

というより文化の違いをわざわざ認識する意識そのものがなかったと言った方が正しいでしょうか。

文化が違うのは当たり前だからいちいち比較しなかったというか。

日本へ帰国したあとの方がプチカルチャーショックがいくつかありました。 

九州の納豆パックにカラシがついていなかったなど小さいことですが 笑

 

リセットの壁

〜勉強〜

正直勉強内容のリセットはぶっちぎりでキツかったです。

前の学校で習い終わったものと次の学校で習う新しい内容のものがごっちゃになっており、ある意味ゼロからやり直すという。

教科書・ドリルは全世界で共通にしてしまえ! 笑

〜友人〜 

元々幼い頃から友達作りが不得意で、中学序盤までは交友関係を保つように努めていました。

でも中学の時にグループ争いで嫌気がさしたのと、せっかく友達を作ってもどうせ数年でリセットされると考えてしまい、友達作りを諦めました。

友達がいないのはある意味楽な部分もありますが、言語力が上達しない・得られる情報量がかなり減るなどデメリットが多いです。

  

進級の壁 

日本は中学までなら自動で進級できますが海外はそうもいきません。

怠け者だったのもありますが、言葉があまり分からなかった頃はそもそもどんな宿題が出ているのかさえ分からなく、6年生を卒業出来ませんでした。

⬇︎以前色んな学校の成績表の記事を載せましたが、赤点ばかりで進級できないことが載っています。

進級出来ずに学校を辞めたあとは、新たに引っ越すまで半年以上学校へ通わない期間がありました。

習い事やらで忙しかったものの、精神的にはひっそりと荒れていたため日記を長文書く習慣がつき、日本語を書くことを忘れずに済みました。

 

学校探しの壁

6年生を卒業出来ず言語力もない自分を受け入れてくれる学校はそうそうなく、新たな土地での学校探しに1ヶ月も費やしました。

母とタクシーで学校の見学へ行くたびに、また学校に通わなくなるのかな、まあそれでもいいかと若干楽観的というか、どうせ…と思っていました。

その国ではカトリック系の学校がたくさんありそこも選択肢に入れたものの、証明書がない無宗教な自分はNGでした。

学校入学を諦めていた頃に、小手調べ的なテスト結果が散々だったはずの学校がお情けで受け入れてくれました。

学校の方針次第ですが、体感として中学生くらいまでなら言語力皆無でも外国人は海外の学校に転入できていました。

高校生以上になると言語力皆無な方に出会うこともなく、転入は厳しいイメージです。

 

入学時期の壁 

本の学校は4月に入学、3月に卒業ですよね。

ある時2月に入学・1月に卒業という学校から、8月に入学・6月に卒業と年の初めが違う学校へ移りました。

引っ越したのは1月に8年生を終えたあと。

8年生を数ヶ月やり直すか、9年生を半年スルーするかのどちらかを選ばなくてはいけませんでした。

自分は8年生を数ヶ月やり直す方を選択しました。

新たな学校は9年生から高校生扱いだったため、授業について行くのはキツいと判断したためです。

転入先の9年生はすごく大人っぽく怖かったため、やり直しを選択してよかったと感じました 笑

 

2ヶ国語必須の壁 

通った学校のほとんどは英語とスペイン語の2ヶ国語の習得が必須でした。

その2言語が近い言語だからマシだったものの、学校のカリキュラムにより数ヶ月はそれ以外の別言語も覚えないといけない時期もありました。

それと学校により英語とスペイン語の力の入れようが異なりました。

高校は英語メインでスペイン語サブ、中学はスペイン語メインで英語サブといった感じに。

せっかく必要最低限覚えた両言語はここ何年も使用していなくはるか記憶の彼方ですね。

 

日本教育の壁

小学生高学年から中学生数年間は通信教育と補修校で日本の国語、算数(数学)、理科、社会を習っていました。 

補修校はたしか週に2回、1日2時間だったかな?

めんどくさがり屋なのもあり、必要最低限の知識さえ身に付かなかったです。

そもそも勉強好きでもないので、中学3年の頃は通信教育にはほぼ手付かずでした。

そのため日本の大学で黒板に書かれた漢字をノートに写すのに手間取った思い出。

 

経験しなかった壁

〜受験〜

日本の大学へは帰国子女枠で入ったため、受験の壁にぶち当たらなかったのは幸運…だったのかな。

年の離れた兄たちは区切りの悪い時期に帰国して大変だったみたいです。

〜差別〜

学校で差別は全くされなかったです。

一度下級生に肩へ唾を垂らされたことはありますが、人種差別だったかは不明です。

ちなみにそのことを母に軽い感じで話したら、翌日学校が犯人を特定し昼休みに呼び出されました。 

母がチクったこと、そして学校がそんなに早く対応してくれたのにはビックリ。

昼休みが削られて嫌でした 笑

街中や習い事先で数回差別発言・ジェスチャーをされたくらいで、ネット上で見かけるような酷い差別とは無縁に過ごしました。

 

最後に: 精神ケアを忘れずにね

海外を転々として楽しかったこともたくさんありましたが、いざその生活から離れ当時を振り返ると、無理してたかもなあ、もっと弱音を吐けばよかったのかなと思います。

今はコロナ禍で海外転勤は少ないかもしれません。

でももし海外転勤の予定があるならば、親御さんにはお子さんのメンタルケアを考慮してほしいです。

親御さんも忙しいでしょうし、子供には勉強環境を与えるだけで精一杯というのは分かりますけどね。

学校や家庭以外の広い世界をたくさん見せ、精神的に孤立させないことが大事かなと思います。

 

では!