梅雨ですね。
ふと10年ほど前海外で通っていた一部の学校は6月頃が卒業シーズンだったなと思い出しました。
そして12年生(日本の高校3年生)の時自分の人生のこれまでとこれからを下級生らに紹介する機会があり、面倒くさかったなとも思い出してきて。
思い出話を淡々と書いていこうと思います。
振り返りプロジェクト
12年生になり勉強や大学の準備で忙しい時期に、学校側からこれまでとこれからの人生を考えるためのプロジェクトを言い渡されました。
これがとにかく面倒くさくて、エッセイをいくつも書いたり、下級生らに自分の人生のこれまでとこれからを発表するためのパワポを準備したりする必要がありました。
就活で行う自己分析やアピールポイントのまとめを先生らに助けてもらいながら達成する儀式とでもいいましょうか。
探してみたら、この面倒くさい儀式の名は「Senior Portfolio」でした。
やること多かったな。
与えられた時間や思い
人生紹介時間は1人20分設けられていました。
ただその20分というのは単に暗黙のルールでして、20分発表しろとは提示されていません。
正直自分はぼーっと流されて生きる人間なので、20分も話すことはないし、時間を短縮したいなと困っていました。
後日渡された発表スケジュールを確認すると、自分は初日の5人目で最後でした。
これはチャンスでしたね。
というのも、前年上級生の発表を見学させられた時、狭い図書室で数十人集まり1〜2時間発表を聞くのは苦痛だった記憶があったからです。
これを逆手に取り、4人×20分でみんなが疲れているであろう時に、仮に自分が半分程度の時間で発表を済ませても誰も変には思わないだろうし、むしろ下級生らは早く帰れて助かるんじゃないかと。
とりあえず10分の発表を目安にパワポ作りに取り組みました。
このプロジェクトには12年生1人1人に別々の先生がアシスタントとして付き添ってくれました。
そのアシスタントの先生に作戦を伝え、発表練習をしたら9分強と本来の半分近くの時間を埋められたため、先生はとりあえず喜んでくれました。
20分話せと強制されなかったのは幸いでしたね。
発表日
自分の前の4人は20分を綺麗に使っていました。
優秀ですね。
一方自分は時間稼ぎのために加えた自分の名前の由来説明などが面倒くさくなり、飛ばしました。
疲れているみんなが普段無口で卒業寸前の自分のことなど知りたがらないだろうと。
途中言葉に詰まり校長にフォローされつつも無事発表を終えました。
席に戻り隣にいたアシスタントの先生が「7分…」とボソッと呟いたのが印象的でした。
結局その先生とはそれ以降特に話す機会もなく、校長に注意されたのかは分からずじまいです。
でも校長もテキパキお開きにしたし、特に問題はなかったんじゃないかな()
後日もらった手紙
発表後日に見学していた先生のうち2名からメッセージカードを貰いました。
左のシールをくれた先生は普段関わりがなかったのに、業務お疲れ様ですと感じた思い出。
右の先生は結構お世話になり、皮肉屋でユーモアがあると卒業式でも言ってくれました。
自分は無口でしたし何も面白いことを言った覚えはないのですが、提出する宿題で少しふざけたことがあったからそのせいかな。
総括
皆さんはぜひ20分なんて短い人生紹介時間をゆうに越えてしまうような熱い人生を歩んでください。
自分は今過去未来それぞれの自分を一応尊重したいためそこまで後悔はしていません、が、どことなく薄い人生だなあと感じているので… 笑
全力を出して生きる人は羨ましいなと思う反面、平和にのんびり生きれたらそれでいいよねって。
では!
おまけ: 日本の進路相談ってどんな感じだろう
自分は日本の中高には通っていなく、フィクションの世界の知識しかないです。
最近観たドラマ、青のSP(スクールポリス)を参考にすると、教室のど真ん中で先生・生徒・親が向き合い、それぞれ希望する進路を厳かに話す感じがしますね。
海外では先生・親と一緒に話す機会は転入した時くらいしかなかったような。
進路相談も学校が強制的にさせることはなく、聞きたければ大学について詳しいあの先生に聞いてねって感じであくまで自主性を重んじます。
あと高校生は1年に1回わざわざアメリカなどから来ていた大学の宣伝マンらと話をしたり、メルアドを交換したりできる機会がありました。
学校の入学時期は8月なんですが、早い子だと10月には大学を合格していて、12月〜1月頃には半数以上の生徒が受かっていましたね。
…書いていると色んなことを思い出すなあ。